~DanceとSakeを愛する者のメモ~
Dance studio R
在イスラエル米大使館エルサレム移転とうへの抗議デモで死傷者が出ている中東
昨日 イスラエルから郵便物が届いた
思いがけず
ミスターガガのDVDを手に入れた
素敵なプレゼント
喜んだのもつかの間、果たして再生できるのか??
かつて、amazonで手当たり次第にDVDを購入したものの
再生できなかった苦い思い出・・・が蘇る
リージョンコードを調べる
DVDプレーヤー及びDVDディスクには、発売地域ごとに再生可能な1~6までのリージョンコード(地域番号)が割り当てられています。再生するディスクのリージョンコードとプレーヤーのリージョンコードが違う場合は再生できません。
日本のリージョンコードは「2」です。
【リージョン・コード 地域】
0 リージョンオール
1 アメリカ、カナダ
2 日本、西ヨーロッパ、南アフリカ、中東
3 東南アジア
4 オーストラリア、中南米
5 ロシア、東ヨーロッパ、北アフリカ、アジア
6 中国
7 未使用
8 国際線(航空機、船舶)
♪( ´▽`)ひゃっほう
中東も同じく【2】でした
めでたしめでたし
昨日 イスラエルから郵便物が届いた
思いがけず
ミスターガガのDVDを手に入れた
素敵なプレゼント
喜んだのもつかの間、果たして再生できるのか??
かつて、amazonで手当たり次第にDVDを購入したものの
再生できなかった苦い思い出・・・が蘇る
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DVDプレーヤー及びDVDディスクには、発売地域ごとに再生可能な1~6までのリージョンコード(地域番号)が割り当てられています。再生するディスクのリージョンコードとプレーヤーのリージョンコードが違う場合は再生できません。
日本のリージョンコードは「2」です。
【リージョン・コード 地域】
0 リージョンオール
1 アメリカ、カナダ
2 日本、西ヨーロッパ、南アフリカ、中東
3 東南アジア
4 オーストラリア、中南米
5 ロシア、東ヨーロッパ、北アフリカ、アジア
6 中国
7 未使用
8 国際線(航空機、船舶)
♪( ´▽`)ひゃっほう
中東も同じく【2】でした
めでたしめでたし
先月舞台が終わった。
さほど忙しかったわけではないが
今回は、メモも取らずリハーサルを撮影もせず
どこまでやれるか!に挑戦していたこともあったせいか
常時、舞台のことが頭の片隅に巣食っていて
何もする気が湧かなかった
それも含めて、無事に終了し
やっと、色々と見始めた
少しの間に
Ed Sheeran - Thinking Out Loud [Official Video]が
視聴回数 1,658,677,654 回に
なっていた!!
現在、世界の人口が約74億(米国勢調査局と国連データからの推計より)
ビックリ!再生数だ
現在はわからないが
2016年調査によると
最高は、
PSY - GANGNAM STYLE(강남스타일) M/V
視聴回数 2,856,581,452 回
どこまで伸びるのか楽しみである
最近のお気に入り
ADELE | I Miss You - Kyle Hanagami Choreography / Leroy Sanchez Cover
Noah Cyrus ft. Labrinth (Marshmello Remix) - "Make Me (Cry)" | Dance Video
だがしかし、舞踏も捨てがたい
最近、大野一雄氏のパラパラ漫画仕様写真集をいただいた
椅子に座って、手の動きだけで表現する踊り
なかなかシュールでいい
なかなかシュールでいい
『Dancing Kazuo Ohno』
写真 吉田隆一
価格税抜 1000円
有限会社かんた
さほど忙しかったわけではないが
今回は、メモも取らずリハーサルを撮影もせず
どこまでやれるか!に挑戦していたこともあったせいか
常時、舞台のことが頭の片隅に巣食っていて
何もする気が湧かなかった
それも含めて、無事に終了し
やっと、色々と見始めた
少しの間に
Ed Sheeran - Thinking Out Loud [Official Video]が
視聴回数 1,658,677,654 回に
なっていた!!
現在、世界の人口が約74億(米国勢調査局と国連データからの推計より)
ビックリ!再生数だ
現在はわからないが
2016年調査によると
最高は、
PSY - GANGNAM STYLE(강남스타일) M/V
視聴回数 2,856,581,452 回
どこまで伸びるのか楽しみである
最近のお気に入り
ADELE | I Miss You - Kyle Hanagami Choreography / Leroy Sanchez Cover
Noah Cyrus ft. Labrinth (Marshmello Remix) - "Make Me (Cry)" | Dance Video
だがしかし、舞踏も捨てがたい
最近、大野一雄氏のパラパラ漫画仕様写真集をいただいた
椅子に座って、手の動きだけで表現する踊り
なかなかシュールでいい
なかなかシュールでいい
『Dancing Kazuo Ohno』
写真 吉田隆一
価格税抜 1000円
有限会社かんた
まもなく終了イベント!現地で流れている約20分ほどの映像の一部に舞踊家の東海林靖志さんが出演している
28日には、クロージングパーティーを予定!!
SenSe Exhibition 01
公式より
日程:2016年05月03日(火)〜2016年05月29日(日)
時間:11:00 - 19:00
休館日:月曜日・第三火曜日
入場料:無料
アクセス
Clark Gallery + SHIFT 札幌市中央区南3条東2丁目6 MUSEUM 2階
◎地下鉄 南北・東西・東豊 線 大通駅 出口35 徒歩5分
音楽やアートを中心に様々なクリエイティブなものを発信 するレーベル「SenSe」(センス)が、札幌を拠点として活動する5組の若手クリエイターと共に、レーベルとして初となるアートワークと映像の展覧会を、5月3日より札幌のクラークギャラリー+SHIFTにて開催します。
現代音楽にとって、アートワークやデザイン、映像は重要なコンテンツであり、そこからデジタルテクノロジーならではの新たな表現が次々に派生しています。SenSeは音楽リリースに留まらず「エレキネシス」などのイベントを開催し、デジタルテクノロジーを用いて音楽や映像を表現するアーティストをいち早く紹介するなど、積極的に札幌の音楽シーンの活性化を図ってきました。
本展では、普段は音楽を支えているアートワークや映像を主役として、近年発表した作品をギャラリーへ展示する他、人の動きをセンサーで感知して反応する作品など、来場者が体験して楽しめる新作も登場。5月28日の夜には、音楽と映像を生で楽しめるクロージングパーティーを入場無料で開催します。
参加クリエイターは、ベルリンと札幌を中心に活動するグラフィックデザイナーで、形の発見・再構成によるアート作品も創作する 阿部寛文、グラフィックデザイナー・アートディレクター・映像作家として「伊勢丹メンズ館10周年」の館内演出映像も手がけたPATANICA、デザイナー・エンジニアで「広告電通賞」のモバイルコミュニケーション部門最優秀賞を受賞した川名宏和 - gekitetz.com™、それぞれがVJ 作品の開発やデバイスの製作も行うbeatimageとanasazi technology のサウンド&ビジュアルユニットbending spoon、そして「日本の映像作家100人2014」にも掲載された古跡哲平と、多様な形で音楽制作に携わる佐々木隆介によるサウンド&ヴィジュアル・ユニットAnokosの若手実力派5組。SenSeを主宰する柳原健人が全体のプロデュースを担当します。(各詳細は下記)
※DOTMOV「SenSe V.A 05」ミュージックビデオ部門募集中!
オンラインマガジンSHIFTが主催する国際的なデジタル・フィルム・フェスティバル DOTMOV(ドットムーブ)は、今年も一般部門に加え、SenSeとのコラボレーションで、札幌で活動するアーティストだけを集めたSenSe V.Aシリーズの第5弾「SenSe V.A 05」MV(ミュージックビデオ)部門の募集を6月19日まで行っています。
http://www.shift.jp.org/mov
◯参加クリエイター
阿部 寛文(あべ・ひろふみ)
グラフィックデザイナー
1989年生まれ。2011年、札幌市立大学卒業。ベルリンと札幌を中心に活動。グラフィックデザインを基軸と し、様々なデザインワークを展開。「今」を象徴するグラフィックデザイナー150組を紹介する「GRAPHIC DESIGN 2014」(翔泳社)に掲載された。また展覧会などを通し、形の発見、再構成による作品制作を行って いる。2015年、アメリカのギャラリー「プレゼントワークス」にて日本のグラフィックデザインに焦点をあ てた企画展「Rising From ANight's Sleep」へ出品。
http://abehirofumi.com
PATANICA(パタニカ)
グラフィックデザイナー/アートディレクター/映像作家
濱口翼によるソロプロジェクトとして2011年から活動を開始。2013年からグラフィックを活かしたモーショ ングラフィックやVJなどを通し映像制作を開始。CDジャケット、映像、広告媒体、アパレルを中心にグラフィッ クワークと映像制作を展開中。これまでに伊勢丹メンズ館10周年の館内演出映像なども手がけている。
http://www.patanica.com
川名宏和 - gekitetz.com™(かわな・ひろかず/ゲキテツ)
デザイナー/エンジニア
フォントデザインを始めとしたグラフィックデザインから、広告・R&D・イベントなどデジタルコンテンツに 関わるデザインや開発を行っている。近年では、ファブリケーション技術を利用したデジタル・素材表現を 横断したデザイン研究やワークショップなどの活動も行っている。主な活動歴は、文化庁メディア芸術祭 審査員 推薦作品、広告電通賞 モバイルコミュニケーション部門 最優秀賞、六本木アートナイト2015オープン・コール・プロジェクト採択など。
http://www.gekitetz.com
bending spoon(ベンディング・スプーン)
beatimageとanasazi technologyの2人によるサウンド&ビジュアルユニット
2012年に結成。普段はそれぞれ個々に制作やライブイベント等で活動しているが、互いの表現を補完し合う 目的で不定期にユニットとしてのパフォーマンスを行っている。 beatimageは「VisualScape」をコンセプトと して映像制作、VJ、サウンドビジュアル作品の開発も手がけている。また、anasazi technologyは、ミニマルな ビートやアンビエントなどの楽曲制作やライブパフォーマンスのほか、Arduinoを活用したデバイスの製作など を行っている。加えて、両者共にサウンド&ビジュアルのイベントなどを手掛ける「Vertical Horizontal」の 運営チームにも参画している。
https://www.facebook.com/bending.spoon
Anokos(アノコス)
古跡哲平(映像)と佐々木隆介(音楽)によるサウンド&ビジュアルユニット
佐々木は1999年からのバンド活動を経て、作曲家・トラックメーカー・アレンジャー・リミキサー・サウンド エンジニアとして多様な形で音楽制作に携わる。古跡は2004年より映像制作を開始し、3331千代田芸術祭 「伊藤俊治賞」、HAFF(オランダ)、 FESTIVAL OF DIFFERENT AND EXPERIMENTAL CINEMAS (フランス)、ImageForumFestivalなど国内外問わず多数の映像祭での受賞・ノミネートされている。 2014年にはフランスのテレビ局「Canal+」の番組"Oeil de Links"でインタビューと作品が放映され、また 「日本の映像作家100人2014」に掲載されるなど様々なメディアで取り上げられている。
https://soundcloud.com/anokos
SenSe(センス)
音楽やアートを中心に様々なクリエイティブなものを発信するレーベル
柳原健人の主宰により、2008年からイベントを開催、後にレーベルとして発足。これまでに30名以上のアーティストのリリースに携わって いる他、映像やテクノロジーを使ったワークショップ「WORKSHOP_#001 ̃VJing with VDMX for beginners.̃」や、トークイベント 「北海道の音楽シーンの現状とこれから」などを開催。そして、主要イベント「エレキネシス」は「デジタルでしかできない表現」をテーマ として2012年~2015年までに8回開催。札幌在住のデジタルテクノロジーを使い、音楽や映像を表現するアーティストをいち早く紹介し、 また国内外で活躍するゲストを迎え、積極的に札幌の音楽シーンの活性化を図っている。主な招聘ゲストは、Sapphire Slows (東京) 、 i am robot and proud (カナダ)、Cuushe (東京)。
http://sense-sapporo.jp
28日には、クロージングパーティーを予定!!
SenSe Exhibition 01
公式より
日程:2016年05月03日(火)〜2016年05月29日(日)
時間:11:00 - 19:00
休館日:月曜日・第三火曜日
入場料:無料
アクセス
Clark Gallery + SHIFT 札幌市中央区南3条東2丁目6 MUSEUM 2階
◎地下鉄 南北・東西・東豊 線 大通駅 出口35 徒歩5分
音楽やアートを中心に様々なクリエイティブなものを発信 するレーベル「SenSe」(センス)が、札幌を拠点として活動する5組の若手クリエイターと共に、レーベルとして初となるアートワークと映像の展覧会を、5月3日より札幌のクラークギャラリー+SHIFTにて開催します。
現代音楽にとって、アートワークやデザイン、映像は重要なコンテンツであり、そこからデジタルテクノロジーならではの新たな表現が次々に派生しています。SenSeは音楽リリースに留まらず「エレキネシス」などのイベントを開催し、デジタルテクノロジーを用いて音楽や映像を表現するアーティストをいち早く紹介するなど、積極的に札幌の音楽シーンの活性化を図ってきました。
本展では、普段は音楽を支えているアートワークや映像を主役として、近年発表した作品をギャラリーへ展示する他、人の動きをセンサーで感知して反応する作品など、来場者が体験して楽しめる新作も登場。5月28日の夜には、音楽と映像を生で楽しめるクロージングパーティーを入場無料で開催します。
参加クリエイターは、ベルリンと札幌を中心に活動するグラフィックデザイナーで、形の発見・再構成によるアート作品も創作する 阿部寛文、グラフィックデザイナー・アートディレクター・映像作家として「伊勢丹メンズ館10周年」の館内演出映像も手がけたPATANICA、デザイナー・エンジニアで「広告電通賞」のモバイルコミュニケーション部門最優秀賞を受賞した川名宏和 - gekitetz.com™、それぞれがVJ 作品の開発やデバイスの製作も行うbeatimageとanasazi technology のサウンド&ビジュアルユニットbending spoon、そして「日本の映像作家100人2014」にも掲載された古跡哲平と、多様な形で音楽制作に携わる佐々木隆介によるサウンド&ヴィジュアル・ユニットAnokosの若手実力派5組。SenSeを主宰する柳原健人が全体のプロデュースを担当します。(各詳細は下記)
※DOTMOV「SenSe V.A 05」ミュージックビデオ部門募集中!
オンラインマガジンSHIFTが主催する国際的なデジタル・フィルム・フェスティバル DOTMOV(ドットムーブ)は、今年も一般部門に加え、SenSeとのコラボレーションで、札幌で活動するアーティストだけを集めたSenSe V.Aシリーズの第5弾「SenSe V.A 05」MV(ミュージックビデオ)部門の募集を6月19日まで行っています。
http://www.shift.jp.org/mov
◯参加クリエイター
阿部 寛文(あべ・ひろふみ)
グラフィックデザイナー
1989年生まれ。2011年、札幌市立大学卒業。ベルリンと札幌を中心に活動。グラフィックデザインを基軸と し、様々なデザインワークを展開。「今」を象徴するグラフィックデザイナー150組を紹介する「GRAPHIC DESIGN 2014」(翔泳社)に掲載された。また展覧会などを通し、形の発見、再構成による作品制作を行って いる。2015年、アメリカのギャラリー「プレゼントワークス」にて日本のグラフィックデザインに焦点をあ てた企画展「Rising From ANight's Sleep」へ出品。
http://abehirofumi.com
PATANICA(パタニカ)
グラフィックデザイナー/アートディレクター/映像作家
濱口翼によるソロプロジェクトとして2011年から活動を開始。2013年からグラフィックを活かしたモーショ ングラフィックやVJなどを通し映像制作を開始。CDジャケット、映像、広告媒体、アパレルを中心にグラフィッ クワークと映像制作を展開中。これまでに伊勢丹メンズ館10周年の館内演出映像なども手がけている。
http://www.patanica.com
川名宏和 - gekitetz.com™(かわな・ひろかず/ゲキテツ)
デザイナー/エンジニア
フォントデザインを始めとしたグラフィックデザインから、広告・R&D・イベントなどデジタルコンテンツに 関わるデザインや開発を行っている。近年では、ファブリケーション技術を利用したデジタル・素材表現を 横断したデザイン研究やワークショップなどの活動も行っている。主な活動歴は、文化庁メディア芸術祭 審査員 推薦作品、広告電通賞 モバイルコミュニケーション部門 最優秀賞、六本木アートナイト2015オープン・コール・プロジェクト採択など。
http://www.gekitetz.com
bending spoon(ベンディング・スプーン)
beatimageとanasazi technologyの2人によるサウンド&ビジュアルユニット
2012年に結成。普段はそれぞれ個々に制作やライブイベント等で活動しているが、互いの表現を補完し合う 目的で不定期にユニットとしてのパフォーマンスを行っている。 beatimageは「VisualScape」をコンセプトと して映像制作、VJ、サウンドビジュアル作品の開発も手がけている。また、anasazi technologyは、ミニマルな ビートやアンビエントなどの楽曲制作やライブパフォーマンスのほか、Arduinoを活用したデバイスの製作など を行っている。加えて、両者共にサウンド&ビジュアルのイベントなどを手掛ける「Vertical Horizontal」の 運営チームにも参画している。
https://www.facebook.com/bending.spoon
Anokos(アノコス)
古跡哲平(映像)と佐々木隆介(音楽)によるサウンド&ビジュアルユニット
佐々木は1999年からのバンド活動を経て、作曲家・トラックメーカー・アレンジャー・リミキサー・サウンド エンジニアとして多様な形で音楽制作に携わる。古跡は2004年より映像制作を開始し、3331千代田芸術祭 「伊藤俊治賞」、HAFF(オランダ)、 FESTIVAL OF DIFFERENT AND EXPERIMENTAL CINEMAS (フランス)、ImageForumFestivalなど国内外問わず多数の映像祭での受賞・ノミネートされている。 2014年にはフランスのテレビ局「Canal+」の番組"Oeil de Links"でインタビューと作品が放映され、また 「日本の映像作家100人2014」に掲載されるなど様々なメディアで取り上げられている。
https://soundcloud.com/anokos
SenSe(センス)
音楽やアートを中心に様々なクリエイティブなものを発信するレーベル
柳原健人の主宰により、2008年からイベントを開催、後にレーベルとして発足。これまでに30名以上のアーティストのリリースに携わって いる他、映像やテクノロジーを使ったワークショップ「WORKSHOP_#001 ̃VJing with VDMX for beginners.̃」や、トークイベント 「北海道の音楽シーンの現状とこれから」などを開催。そして、主要イベント「エレキネシス」は「デジタルでしかできない表現」をテーマ として2012年~2015年までに8回開催。札幌在住のデジタルテクノロジーを使い、音楽や映像を表現するアーティストをいち早く紹介し、 また国内外で活躍するゲストを迎え、積極的に札幌の音楽シーンの活性化を図っている。主な招聘ゲストは、Sapphire Slows (東京) 、 i am robot and proud (カナダ)、Cuushe (東京)。
http://sense-sapporo.jp
「UNIQLOCK」の振付で一躍有名となった振付稼業air:manによる動画
振付稼業air:manhttp://www.furitsukekagyou-airman.com
プロモーション映像ですが、とても良くできている。。
無駄にダンサーを中心に構成しているところも吉と出ている模様。
立ち姿だけでも、ダンサーであることがうかがえる。見習いたいところだ。。
ダンスのジャンルは、クラシックバレエ、ヒップホップ、ジャズダンス、ストリートダンスと多岐に渡るそうですが、スマートでキレが良い。
ミニマルの王道。
現在、名刺も様々な色・形・素材に変化しましたが、まっ白い空間に白い名刺の真髄を見た気がします。
恐ろしかな、一連のアクションはすべてワンテイクで収録とのことです。
[100万人が使う名刺アプリ『Eight』は、名刺の受け渡しという日常的な行為に革新をもたらすことで、ビジネス全体にポジティブな変化を生み出そうとしています。
このムービーでは、名刺交換という基本動作だけを描いて、どれだけ創造的な映像を生み出せるか、ということに挑戦しました。]
振付稼業air:manhttp://www.furitsukekagyou-airman.com
プロモーション映像ですが、とても良くできている。。
無駄にダンサーを中心に構成しているところも吉と出ている模様。
立ち姿だけでも、ダンサーであることがうかがえる。見習いたいところだ。。
ダンスのジャンルは、クラシックバレエ、ヒップホップ、ジャズダンス、ストリートダンスと多岐に渡るそうですが、スマートでキレが良い。
ミニマルの王道。
現在、名刺も様々な色・形・素材に変化しましたが、まっ白い空間に白い名刺の真髄を見た気がします。
恐ろしかな、一連のアクションはすべてワンテイクで収録とのことです。
[100万人が使う名刺アプリ『Eight』は、名刺の受け渡しという日常的な行為に革新をもたらすことで、ビジネス全体にポジティブな変化を生み出そうとしています。
このムービーでは、名刺交換という基本動作だけを描いて、どれだけ創造的な映像を生み出せるか、ということに挑戦しました。]
も〜い〜くつねると〜GW〜♪
GWまでカウントダウン入りましたーー!
と休み前は息巻いていたが
いざGWに突入したものの
別段変わったこともなく・・・
一日中 我が家で “もふもふちゃん” と呼んでいる
白のもふもふしたパジャマでダラダラ過ごす日々
着てしまえば、ただの着ぐるみ状態@(・●・)@
更に、気分が乗ってる日は
同居人が八景島シーパラダイスから買って来てくれた
ペンギンの被りものも装着する
『どうしたの?』
『え?なにが〜』
お主、被って欲しくて買ってきたのではないか〜
身も蓋もない
そんな同居人は、ここ半年ほど
キャンプに出たままだ
キャンプと言っても、
バンドキャンプ
在宅中は、仕事をしてるかバンドキャンプをしてるかだ
“お前のコメントに数百人ついてきたぜ!”
“ヘイ お前の日本語を翻訳にかけたらブッ壊れるぜ!”とか言われながら、楽しげに次世代スターを発掘し続けている
その姿を尻目に
ゆる〜〜い映画を探す
『茶の味』
お題からして、隠居感たっぷり
はい〜再生〜
美容師さんから“髪は真ん中分けにしないでくださいねっ!”
と言われたが、どうしても真ん中からパッカリ分かれる自分の髪型が
ひと昔前の浅野忠信ヘアーであることに気づく・・・チンっ
中盤、何やら チンアナゴ?的な
楳図かずお?的な
物が現れる
森山開次さんみたいな???
チンコン‼︎
森山開次さんが何故か川縁で踊りだす
摩訶不思議な映画だが
迂闊にも泣けてシマッタ‼︎
いい映画では無いか
他、見どころは
ちょい出の草くんを見つけることだ
『インスタント沼』
『ゴージャス』
『小野寺の弟、小野寺の姉』、、、
ゆるゆると見続け
3度目となる
『時効警察』を見る
『あんた、見る物 他にないのかい??』
と聞こえてくるが
お構いなく
『ゆとりですがなにか』を見てたら
“これ、見てるの辛いわー 止めてあげてー”
とお主 言ったではないか!
時間を持て余しぎみの休暇
前置きが長〜くなったが
あの人は今
的なことをやってみた
フォーサイスのインスタレーションによる「The Fact of Matter」展
ウィリアム・フォーサイス
THE FACT OF MATTER
ウィリアム・フォーサイスのインスタレーションを中心に構成されたThe Fact of Matter展が、2015年10月17日から2016年3月13日までフランクフルト現代美術館で開催されていた。
フォーサイスは知性あふれる人物ではあるが、すべてのことを理詰めで決めていくわけでは決してない。むしろ、とりあえず実践しながら、その結果をみてどんどん変えていくという。これは即興性という言葉で表現できるだろう。ここで即興性という言葉で示したいのは単に事前の準備によらずその場で演じることだけではない。思いつきや面白味、その都度起こることを追いかけていくという心の動きやそこに含まれる自由さでもある。フォーサイスのインスタレーションは鑑賞者がこの即興性を発揮して体感するようにデザインされている。
『The Fact of Matter』(2009)多数のつり輪が天井から不規則にぶら下がっている。
この展覧会では鑑賞者が繰り返し自然と即興性を発揮させられることになる。たとえば羽根はたきをもって完全に静止しろと指示される『Towards the Diagnostic Gaze』(2013)、天井から吊り下げられた無数のおもりが不規則に動く中をおもりに触れずに通り抜ける『Nowhere and Everywhere at the Same Time, No.3』(2015)、人工的に発生させた霧にプロジェクターで投影された輪を乱さないように動くよう要請される『Additive Inverse』(2007)などを体験することを通して、鑑賞者は自然に自分の身体を内側から探り、周囲の空間への知覚を研ぎ澄まして運動へとつなげる。つまり鑑賞者は作品を対象として客観的に見るのではなく、主体的に体験することで作品を理解するのみならず、作品を媒介にして自分自身の身体を「見る」ことになるのである。フォーサイスがコレオグラフィック・オブジェクトと呼ぶこれらの作品群は、フォーサイスがダンスで実践してきたことを別の形で実現するものである。これまでフォーサイスはダンサーにさまざまなルールを課した上で即興的に踊らせることで、身体と精神の限界に挑戦し、ダンスの新たな可能性を探求してきた。そこで求められたのは、外延的な身体能力の向上だけではなく、身体に潜む思わぬ断絶や不随意の反応とその利用、あるいはコントロールすることはできないが、危機的状況の際に現れる身体システムの駆動でもあった。フォーサイスの考え方を学び実践してきたダンサーたちだからこそ可能であった探求だが、本展のようなコレオグラフィック・オブジェクトの形をとることで部分的にではあるが我々にも自らの精神と身体の可能性を探求することが可能になるのだ。つまり、これを体験することは、フォーサイスの「振付の不在を振付ける振付」(iii) を観客としてダンスを見るのとは別の角度から見ることだ。とはいえ、コレオグラフィック・オブジェクトはフォーサイスのダンスを理解するための解説書的なものでは決してない。それらは、フォーサイスのダンスを全く知らない人にも楽しめる開かれた作品であり、日常慣れ親しみ存在を意識すらしないようになっている自らの身体や認識のメカニズムを問いなおす格好の機会となる。
The Fact of Matter展にはこれまでのフォーサイスの実践のエッセンスがつめ込まれている。そこで鑑賞者は振付けられたダンスを見るのではなく、「振付の不在」を振付けられて自らダンスに参入し、更にはその姿が新たな人を自発的に「振付の不在」へと参入させることになる。コレオグラフィック・オブジェクトはそのために精密にデザインされている。ユーモラスな動き、他の鑑賞者たちの様子、オブジェクト自体の美しさ、鑑賞者が即興的に創意工夫できる余地など、さまざまな工夫が凝らされており、そこにフォーサイスのアーティストとしての才が遺憾なく発揮されている。そして、それらはやはり究極的にはダンスに捧げられている。「振付は踊る欲望への経路として機能しなければならない」とフォーサイスは言う。The Fact of Matter展に溢れる即興性はまさに鑑賞者を自身の身体の探求へと向かわせ、ダンスへの欲望の経路として機能するだろう。
写真:Dominik Mentzos
Choreographic Objects
by William Forsythe
An object is not so possessed by its own name that one could not find another or better therefore.
- Rene Magritte
Choreography is a curious and deceptive term. The word itself, like the processes it describes, is elusive, agile, and maddeningly unmanageable. To reduce choreography to a single definition is not to understand the most crucial of its mechanisms: to resist and reform previous conceptions of its definition.
There is no choreography, at least not as to be understood as a particular instance representing a universal or standard for the term. Each epoch, each instance of choreography, is ideally at odds with its previous defining incarnations as it strives to testify to the plasticity and wealth of our ability to re-conceive and detach ourselves from positions of certainty.
Choreography is the term that presides over a class of ideas: an idea is perhaps in this case a thought or suggestion as to a possible course of action. To prohibit or constrain the substitution or mobilization of terms within this domain is counterintuitive. The introduction and examination of the effect of terminological substitutions that reveal previously invisible facets of the practice is key to the development of procedural strategies.
Choreography elicits action upon action: an environment of grammatical rule governed by exception, the contradiction of absolute proof visibly in agreement with the demonstration of its own failure. Choreography's manifold incarnations are a perfect ecology of idea-logics; they do not insist on a single path to form-of-thought and persist in the hope of being without enduring.
Choreography and dancing are two distinct and very different practices.
In the case that choreography and dance coincide, choreography often serves as a channel for the desire to dance. One could easily assume that the substance of choreographic thought resided exclusively in the body. But is it possible for choreography to generate autonomous expressions of its principles, a choreographic object, without the body?
The force of this question arises from the real experience of the position of physical practices, specifically dance, in western culture. Denigrated by centuries of ideological assault, the body in motion, the obvious miracle of existence, is still subtly relegated to the domain of raw sense: precognitive, illiterate. Fortunately, choreographic thinking being what it is, proves useful in mobilizing language to dismantle the constraints of this degraded station by imagining other physical models of thought that circumvent this misconception. What else, besides the body, could physical thinking look like?
The blind French resistance fighter Jacques Lusseyran, writing about the inner sense of vision which enabled him to see and manipulate forms and thoughts, famously described it as being like a boundless mental canvas or screen which existed “nowhere and everywhere at the same time.” The blind mathematician Bernard Morin described his envisioning of the process of everting a sphere in a similar manner. And so it is with the choreographic object: it is a model of potential transition from one state to another in any space imaginable. An example of a similar transition already exists in another time-based art practice: the musical score. A score represents the potential of perceptual phenomena to instigate action, the result of which can be perceived by a sense of a different order: a transition via the body from the visual to the aural. A choreographic object, or score, is by nature open to a full palette of phenomenological instigations because it acknowledges the body as wholly designed to persistently read every signal from its environment.
I make this comment in relationship to Lusseyran and Morin to introduce the manifold possibility of our practice. Lusseyran’s inner vision enabled him to see topographies and project strategic movements of groups of people. Morin saw an event in the space of his mind that he then translated with haptic skill into sculptures and subsequently into the universal yet somewhat hermetic language of mathematics. Their quite substantial bodies, put into action by the force of their ideas, left very discernable traces of those ideas in the real world; from nowhere to somewhere, not everywhere, and no longer exclusively within their bodies.
But what if we, for a moment, look at the situation of the choreographic act. Historically choreography has been indivisible from the human body in action. The choreographic idea traditionally materializes in a chain of bodily action with the moments of its performance being the first, last and only instances of a particular interpretation. The idea's enactment is not sustained and cannot be repeated in the totality of its dimensions by any other means. As poignant as the ephemerality of the act might be, its transient nature does not allow for sustained examination or even the possibility of objective, distinct readings from the position that language offers the sciences and other branches of arts that leave up synchronic artifacts for detailed inspection. This lack of persistence through time, like the body itself, is natural and suspect at the same time. The irretrievability of the choreographic enactment, though possibly engendering a nostalgic thrill perhaps also reminds the viewer of the morbid foundations of that same sentiment.
Are we perhaps at the point in the evolution of choreography where a distinction between the establishment of its ideas and its traditional forms of enactment must be made? Not out of any dissatisfaction with the tradition, but rather in an effort to alter the temporal condition of the ideas incumbent in the acts, to make the organizing principles visibly persist. Could it be conceivable that the ideas now seen as bound to a sentient expression are indeed able to exist in another durable, intelligible state?
A choreographic object is not a substitute for the body, but rather an alternative site for the understanding of potential instigation and organization of action to reside. Ideally, choreographic ideas in this form would draw an attentive, diverse readership that would eventually understand and, hopefully, champion the innumerable manifestations, old and new, of choreographic thinking.
NOWHERE AND EVERYWHERE
GWまでカウントダウン入りましたーー!
と休み前は息巻いていたが
いざGWに突入したものの
別段変わったこともなく・・・
一日中 我が家で “もふもふちゃん” と呼んでいる
白のもふもふしたパジャマでダラダラ過ごす日々
着てしまえば、ただの着ぐるみ状態@(・●・)@
更に、気分が乗ってる日は
同居人が八景島シーパラダイスから買って来てくれた
ペンギンの被りものも装着する
『どうしたの?』
『え?なにが〜』
お主、被って欲しくて買ってきたのではないか〜
身も蓋もない
そんな同居人は、ここ半年ほど
キャンプに出たままだ
キャンプと言っても、
バンドキャンプ
在宅中は、仕事をしてるかバンドキャンプをしてるかだ
“お前のコメントに数百人ついてきたぜ!”
“ヘイ お前の日本語を翻訳にかけたらブッ壊れるぜ!”とか言われながら、楽しげに次世代スターを発掘し続けている
その姿を尻目に
ゆる〜〜い映画を探す
『茶の味』
お題からして、隠居感たっぷり
はい〜再生〜
美容師さんから“髪は真ん中分けにしないでくださいねっ!”
と言われたが、どうしても真ん中からパッカリ分かれる自分の髪型が
ひと昔前の浅野忠信ヘアーであることに気づく・・・チンっ
中盤、何やら チンアナゴ?的な
楳図かずお?的な
物が現れる
森山開次さんみたいな???
チンコン‼︎
森山開次さんが何故か川縁で踊りだす
摩訶不思議な映画だが
迂闊にも泣けてシマッタ‼︎
いい映画では無いか
他、見どころは
ちょい出の草くんを見つけることだ
『インスタント沼』
『ゴージャス』
『小野寺の弟、小野寺の姉』、、、
ゆるゆると見続け
3度目となる
『時効警察』を見る
『あんた、見る物 他にないのかい??』
と聞こえてくるが
お構いなく
『ゆとりですがなにか』を見てたら
“これ、見てるの辛いわー 止めてあげてー”
とお主 言ったではないか!
時間を持て余しぎみの休暇
前置きが長〜くなったが
あの人は今
的なことをやってみた
フォーサイスのインスタレーションによる「The Fact of Matter」展
ウィリアム・フォーサイス
THE FACT OF MATTER
ウィリアム・フォーサイスのインスタレーションを中心に構成されたThe Fact of Matter展が、2015年10月17日から2016年3月13日までフランクフルト現代美術館で開催されていた。
フォーサイスは知性あふれる人物ではあるが、すべてのことを理詰めで決めていくわけでは決してない。むしろ、とりあえず実践しながら、その結果をみてどんどん変えていくという。これは即興性という言葉で表現できるだろう。ここで即興性という言葉で示したいのは単に事前の準備によらずその場で演じることだけではない。思いつきや面白味、その都度起こることを追いかけていくという心の動きやそこに含まれる自由さでもある。フォーサイスのインスタレーションは鑑賞者がこの即興性を発揮して体感するようにデザインされている。
『The Fact of Matter』(2009)多数のつり輪が天井から不規則にぶら下がっている。
この展覧会では鑑賞者が繰り返し自然と即興性を発揮させられることになる。たとえば羽根はたきをもって完全に静止しろと指示される『Towards the Diagnostic Gaze』(2013)、天井から吊り下げられた無数のおもりが不規則に動く中をおもりに触れずに通り抜ける『Nowhere and Everywhere at the Same Time, No.3』(2015)、人工的に発生させた霧にプロジェクターで投影された輪を乱さないように動くよう要請される『Additive Inverse』(2007)などを体験することを通して、鑑賞者は自然に自分の身体を内側から探り、周囲の空間への知覚を研ぎ澄まして運動へとつなげる。つまり鑑賞者は作品を対象として客観的に見るのではなく、主体的に体験することで作品を理解するのみならず、作品を媒介にして自分自身の身体を「見る」ことになるのである。フォーサイスがコレオグラフィック・オブジェクトと呼ぶこれらの作品群は、フォーサイスがダンスで実践してきたことを別の形で実現するものである。これまでフォーサイスはダンサーにさまざまなルールを課した上で即興的に踊らせることで、身体と精神の限界に挑戦し、ダンスの新たな可能性を探求してきた。そこで求められたのは、外延的な身体能力の向上だけではなく、身体に潜む思わぬ断絶や不随意の反応とその利用、あるいはコントロールすることはできないが、危機的状況の際に現れる身体システムの駆動でもあった。フォーサイスの考え方を学び実践してきたダンサーたちだからこそ可能であった探求だが、本展のようなコレオグラフィック・オブジェクトの形をとることで部分的にではあるが我々にも自らの精神と身体の可能性を探求することが可能になるのだ。つまり、これを体験することは、フォーサイスの「振付の不在を振付ける振付」(iii) を観客としてダンスを見るのとは別の角度から見ることだ。とはいえ、コレオグラフィック・オブジェクトはフォーサイスのダンスを理解するための解説書的なものでは決してない。それらは、フォーサイスのダンスを全く知らない人にも楽しめる開かれた作品であり、日常慣れ親しみ存在を意識すらしないようになっている自らの身体や認識のメカニズムを問いなおす格好の機会となる。
The Fact of Matter展にはこれまでのフォーサイスの実践のエッセンスがつめ込まれている。そこで鑑賞者は振付けられたダンスを見るのではなく、「振付の不在」を振付けられて自らダンスに参入し、更にはその姿が新たな人を自発的に「振付の不在」へと参入させることになる。コレオグラフィック・オブジェクトはそのために精密にデザインされている。ユーモラスな動き、他の鑑賞者たちの様子、オブジェクト自体の美しさ、鑑賞者が即興的に創意工夫できる余地など、さまざまな工夫が凝らされており、そこにフォーサイスのアーティストとしての才が遺憾なく発揮されている。そして、それらはやはり究極的にはダンスに捧げられている。「振付は踊る欲望への経路として機能しなければならない」とフォーサイスは言う。The Fact of Matter展に溢れる即興性はまさに鑑賞者を自身の身体の探求へと向かわせ、ダンスへの欲望の経路として機能するだろう。
写真:Dominik Mentzos
Choreographic Objects
by William Forsythe
An object is not so possessed by its own name that one could not find another or better therefore.
- Rene Magritte
Choreography is a curious and deceptive term. The word itself, like the processes it describes, is elusive, agile, and maddeningly unmanageable. To reduce choreography to a single definition is not to understand the most crucial of its mechanisms: to resist and reform previous conceptions of its definition.
There is no choreography, at least not as to be understood as a particular instance representing a universal or standard for the term. Each epoch, each instance of choreography, is ideally at odds with its previous defining incarnations as it strives to testify to the plasticity and wealth of our ability to re-conceive and detach ourselves from positions of certainty.
Choreography is the term that presides over a class of ideas: an idea is perhaps in this case a thought or suggestion as to a possible course of action. To prohibit or constrain the substitution or mobilization of terms within this domain is counterintuitive. The introduction and examination of the effect of terminological substitutions that reveal previously invisible facets of the practice is key to the development of procedural strategies.
Choreography elicits action upon action: an environment of grammatical rule governed by exception, the contradiction of absolute proof visibly in agreement with the demonstration of its own failure. Choreography's manifold incarnations are a perfect ecology of idea-logics; they do not insist on a single path to form-of-thought and persist in the hope of being without enduring.
Choreography and dancing are two distinct and very different practices.
In the case that choreography and dance coincide, choreography often serves as a channel for the desire to dance. One could easily assume that the substance of choreographic thought resided exclusively in the body. But is it possible for choreography to generate autonomous expressions of its principles, a choreographic object, without the body?
The force of this question arises from the real experience of the position of physical practices, specifically dance, in western culture. Denigrated by centuries of ideological assault, the body in motion, the obvious miracle of existence, is still subtly relegated to the domain of raw sense: precognitive, illiterate. Fortunately, choreographic thinking being what it is, proves useful in mobilizing language to dismantle the constraints of this degraded station by imagining other physical models of thought that circumvent this misconception. What else, besides the body, could physical thinking look like?
The blind French resistance fighter Jacques Lusseyran, writing about the inner sense of vision which enabled him to see and manipulate forms and thoughts, famously described it as being like a boundless mental canvas or screen which existed “nowhere and everywhere at the same time.” The blind mathematician Bernard Morin described his envisioning of the process of everting a sphere in a similar manner. And so it is with the choreographic object: it is a model of potential transition from one state to another in any space imaginable. An example of a similar transition already exists in another time-based art practice: the musical score. A score represents the potential of perceptual phenomena to instigate action, the result of which can be perceived by a sense of a different order: a transition via the body from the visual to the aural. A choreographic object, or score, is by nature open to a full palette of phenomenological instigations because it acknowledges the body as wholly designed to persistently read every signal from its environment.
I make this comment in relationship to Lusseyran and Morin to introduce the manifold possibility of our practice. Lusseyran’s inner vision enabled him to see topographies and project strategic movements of groups of people. Morin saw an event in the space of his mind that he then translated with haptic skill into sculptures and subsequently into the universal yet somewhat hermetic language of mathematics. Their quite substantial bodies, put into action by the force of their ideas, left very discernable traces of those ideas in the real world; from nowhere to somewhere, not everywhere, and no longer exclusively within their bodies.
But what if we, for a moment, look at the situation of the choreographic act. Historically choreography has been indivisible from the human body in action. The choreographic idea traditionally materializes in a chain of bodily action with the moments of its performance being the first, last and only instances of a particular interpretation. The idea's enactment is not sustained and cannot be repeated in the totality of its dimensions by any other means. As poignant as the ephemerality of the act might be, its transient nature does not allow for sustained examination or even the possibility of objective, distinct readings from the position that language offers the sciences and other branches of arts that leave up synchronic artifacts for detailed inspection. This lack of persistence through time, like the body itself, is natural and suspect at the same time. The irretrievability of the choreographic enactment, though possibly engendering a nostalgic thrill perhaps also reminds the viewer of the morbid foundations of that same sentiment.
Are we perhaps at the point in the evolution of choreography where a distinction between the establishment of its ideas and its traditional forms of enactment must be made? Not out of any dissatisfaction with the tradition, but rather in an effort to alter the temporal condition of the ideas incumbent in the acts, to make the organizing principles visibly persist. Could it be conceivable that the ideas now seen as bound to a sentient expression are indeed able to exist in another durable, intelligible state?
A choreographic object is not a substitute for the body, but rather an alternative site for the understanding of potential instigation and organization of action to reside. Ideally, choreographic ideas in this form would draw an attentive, diverse readership that would eventually understand and, hopefully, champion the innumerable manifestations, old and new, of choreographic thinking.
NOWHERE AND EVERYWHERE
維新派にいた(すでに脱退してしまった)妹が、昨日里帰りした。
久しぶりの、もっそり雪
そんなこんなで、追っかけている維新派の新作!!
2016新作
松本雄吉演出作品『PORTAL』
http://ishinha.com/category/information
代表の松本雄吉氏が大阪文化賞を受賞しました。
受賞理由:氏は、平成26 年10 月に、大阪市西区中之島GATE において、自身が主宰である劇団「維新派」の公演『透視図』を構成、演出し、上演されました。
『透視図』は、「水都大阪」のシンボル空間となっている中之島GATEに、役者、スタッフが自らの手で作り上げた特設舞台において、川面に映る高層ビル群の明かりを背景に行われました。約40 人の役者たちが、「維新派」の独創的なリズムに乗せたセリフを発しながらストーリーを展開し、躍動的でスケールの大きな美しい作品となりました。
また、氏は、昭和45 年に劇団「日本維新派」(現在の「維新派」の前身)結成後、脚本・演出家として劇団を率い、「ヂャンヂャン☆オペラ」と名付けた関西弁を生かした独創的なスタイルを確立し、大がかりな特設野外舞台による作品を、国内外で公演し、海外でも高い評価を得ています。
このように、氏の活躍は大阪の野外演劇を牽引し、演劇を通じて大阪の文化を国内外に発信されており、大阪の文化振興への貢献は極めて大きく、ここに大阪文化賞を贈ります。(大阪市サイトより)
なんだか、かわいい
時間軸を感じる作品です
踊りをやっていると、空間軸以上に時間軸を意識する訳ですが
現実世界では、SFではない限り時間は先にしか進行しない
しかしこの平面からは
過去・現在・未来を感じ取れる
Aikido
ドローイングを基に構成したインスタレーション作品で、第12回グラフィック「1_WALL」のグランプリを受賞しました。Aokidが創る独自の世界観と、ドローイングにダンスの身体感覚を取り入れ、新しい表現方法に挑戦し続けるスタンスが高く評価されました。
14歳の頃からブレイクダンスを始めたAokid は、現在、ドローイング制作とダンスによるパフォーマンスの領域にも活動を広げています。創り出す原点を探り、絵、ダンス、音楽などの表現活動のそれぞれの境界を超えていきたいと話すAokid。彼の作品からは、自由で伸びやかなカラフルな曲線による、ファンタジックな絵で空間を埋めていくことと、ダンスを通して空間を身体で埋めていくことの共時性を見ることができます。そして、その世界観は決して閉じたものではなく、作品が持つ余白には、他者を受け入れ、外の世界につながる可能性を見いだすことができます。
本展では、会場をダンスを踊る舞台空間に見立て、そこに空想上の街をつくります。新作のドローイングを軸にしたインスタレーション作品だけでなく、展示の構想や作品が発想されるまでの習作も展示します。受賞から約1 年後の初の個展を、ぜひ会場でご覧ください。
http://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/12gh_aokid/12gh_aokid.html
第12回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者個展
Aokid展「 ぼくは“偶然のダンス”の上映される街に住んでいる。」
会期:2016.1.19 火 - 2.5 金
時間:11:00a.m.~7:00p.m.
入場無料 日曜休館
※ 1.30 (土)はトークイベントを開催のため、3:50p.m.からイベント終了(5:30p.m.予定)までの間、展示はご覧いただくことができませんので、ご了承ください。
時間軸を感じる作品です
踊りをやっていると、空間軸以上に時間軸を意識する訳ですが
現実世界では、SFではない限り時間は先にしか進行しない
しかしこの平面からは
過去・現在・未来を感じ取れる
Aikido
ドローイングを基に構成したインスタレーション作品で、第12回グラフィック「1_WALL」のグランプリを受賞しました。Aokidが創る独自の世界観と、ドローイングにダンスの身体感覚を取り入れ、新しい表現方法に挑戦し続けるスタンスが高く評価されました。
14歳の頃からブレイクダンスを始めたAokid は、現在、ドローイング制作とダンスによるパフォーマンスの領域にも活動を広げています。創り出す原点を探り、絵、ダンス、音楽などの表現活動のそれぞれの境界を超えていきたいと話すAokid。彼の作品からは、自由で伸びやかなカラフルな曲線による、ファンタジックな絵で空間を埋めていくことと、ダンスを通して空間を身体で埋めていくことの共時性を見ることができます。そして、その世界観は決して閉じたものではなく、作品が持つ余白には、他者を受け入れ、外の世界につながる可能性を見いだすことができます。
本展では、会場をダンスを踊る舞台空間に見立て、そこに空想上の街をつくります。新作のドローイングを軸にしたインスタレーション作品だけでなく、展示の構想や作品が発想されるまでの習作も展示します。受賞から約1 年後の初の個展を、ぜひ会場でご覧ください。
http://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/12gh_aokid/12gh_aokid.html
第12回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者個展
Aokid展「 ぼくは“偶然のダンス”の上映される街に住んでいる。」
会期:2016.1.19 火 - 2.5 金
時間:11:00a.m.~7:00p.m.
入場無料 日曜休館
※ 1.30 (土)はトークイベントを開催のため、3:50p.m.からイベント終了(5:30p.m.予定)までの間、展示はご覧いただくことができませんので、ご了承ください。
どうやら、同居人はコンテンポラリーダンスを独自に解釈しているようで
おかしな動きのもの´д` ;を発見すると
メールに動画を貼り付けて送ってくれる
おかしな動きでプレイするDJ
挙動不審な動きで演奏するドラマー・・・などなど
ほとんどが、ダンサーではない
その中でも、はまって見続けている
ピーピングライフ
この、ゆる〜いダンスを見て欲しかったらしい。
私が目指すところは、ここか!!!
と、錯覚する。
おかしな動きのもの´д` ;を発見すると
メールに動画を貼り付けて送ってくれる
おかしな動きでプレイするDJ
挙動不審な動きで演奏するドラマー・・・などなど
ほとんどが、ダンサーではない
その中でも、はまって見続けている
ピーピングライフ
この、ゆる〜いダンスを見て欲しかったらしい。
私が目指すところは、ここか!!!
と、錯覚する。
同展は、衣服デザイナー・三宅一生の約45年間にわたる仕事を紹介する展覧会。三宅が活動を開始した1970年から現在までの作品の展示を通して、三宅の服作りに対する考え方や制作工程を紐解いていく。
会場は、三宅の原点である1970年代の服を展示するルームA、身体に焦点を合わせた「ボディ」のシリーズを展示するルームB、生地を服の形に裁断縫製してからプリーツ加工を行う「製品プリーツ」という独自の技法を用いたプリーツなど、従来の服作りとは異なる方法で作られた三宅のデザインを複数のテーマで紹介するルームCの3部屋で構成。ルームAとルームBの空間デザインは吉岡徳仁、ルームCの会場とビジュアルデザインは佐藤卓が担当する。さらに、写真家・岩崎寛が同展のために撮影した写真を収めた展覧会図録が出版される予定だ。
2016.3.16から六本木・国立新美術館にて開催予定
三宅一生さんといえば、ダンス界にファン多し
「プリーツプリーズ」は
1991年 イッセイミヤケ 秋冬パリ・コレクションで「プリーツプリーズ」の原型を発表。ウィリアム・フォーサイス&フランクフルト・バレエ団の衣装となったのが始まりである。
すでに終了しているイベントだが、
ご自身でも、ブランド創立 20周年「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ)」(東京・六本木の「東京ミッドタウン」)でダンスパフォーマンスを開催している。
アメリカの著名ダンサーで振付家のDaniel Ezralow(ダニエル・エズラロウ)が演出を担当。
国内外のショーを数多く手がけてきたDaniel Ezralowは、「インスピレーションは色や香り。プリーツに命を与え、自由で楽しくて気分を上げるような喜びとハピネスをダンスに込めた。クリエイティビティを無限化し、アイディアや創造の世界を常に乗り越えているISSEY MIYAKEと共に仕事ができることを感謝している」とコメントしている。
テトラヘドロン(TETRAHEDRON) -4人の女性によるライヒ&ペルトの世界-
テトラヘドロン(=三角形で構成される四面体)」にあわせて、イッセイミヤケの「132.5」シリーズの、三角形をモチーフにした秋の新作を4人の女性に提供。音楽を中心とした異分野コラボレーションで知的好奇心を刺激するイベント。
演奏は、ニューヨーク在住で英国リンレコードから発売された『クニコ・プレイズ・ライヒ』が世界的な評価を得たマリンバ奏者、加藤訓子。ダンスは、コンテンポラリーダンスの旗手、黒田育世がライヒのパートを、中村恩恵がペルトのパートを踊る。そしてイッセイミヤケとのコラボレーションも多い、写真家・高木由利子のライブ撮影がステージに映し出された。
中村恩恵さんは、個人的にとっても好きなダンサーさんです。
立ち居振る舞い、在り方が私の理想❤️
恐れ多くも、レッスンを受けさせていただきましたが、
眺めるだけで、幸せな時間でした!
長めのコンビネーションで、次チェンジ(反対)と言われた時は、パニクリました。
普段、そう言った訓練はしていないもので、
それからと言うもの
自分なりに、振りを覚えながら反対も考えるよう努力しております・・・
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